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サイアミディン

自由を求めて身体は病む

ブログ読者のだいきちさんから、以下のようなコメントを頂きました。だいきちさん、有難うございます。

(以下、引用)

【2018-03-13 だいきち
潜在意識

病気になるのも自分、治すのも自分
というのは誰しも十分に理解しているはずですが、何故病気になるのでしょう?
こうなると、好きで病気になりたいと公然という人はいないでしょうが、実は潜在意識の中で病気を望んでいる場合もあるのかと見なければ解決できないのです。
母親の愛情を受けたくて、仮病する子がいるといいます。
その心理は十分に理解できますし、大人にも適用できる原理かなとも思います。
その視点で見ていくと、新たなアプローチも存在するかもしれませんね。】

(引用、ここまで)


この御意見は非常に本質をついていると私は感じました。
一見するとすべての病気が本人が望んで病気を演じる「詐病」だというように聞こえて反発される方もいらっしゃるかもしれませんが、

そうではなく、「潜在意識の中で」という所がポイントです。

本人は勿論病気になる事を望んでいませんが、身体がそうなる事を望んでいるという可能性は否定できません。


社会の中で集団生活をしていく場合には人との関わりが不可欠です。

自由という言葉は聞こえがいいですが、本当の自由を求めるならば孤独を強いられる事となり、社会生活との断絶が余儀なくされます。

一般に「自由に生きている」と言われている人は社会との関わり合いの部分を必要最小限に保っている人なのではないかと私は思います。

逆に言えば、上手にストレスマネジメントできている人が自由に生きている人だと言えるのかもしれません。

さて多くの人は、それほど自由に生きていると感じていないのではないかと推察されます。

それはなぜかと言えば、社会生活に適応するためにある程度自分を妥協させているからです。

本当は自由に遊びたくても、金銭活動という社会生活のルールに合わせるため収入源を確保するために仕事をします。

本当はずけずけと言いたい事を言いたくても、人間関係・上下関係といった社会生活のルールに合わせるために言いたい事を言わないという配慮をします。

本当は不特定多数の異性と愛を営みたくても、結婚を中心とした一夫一妻制の社会生活のルールに合わせるために特定の相手との交渉に留めます。

本当は裸になりたくても、本当は寝転がりたくても、本当はそこら辺にある食べ物を食べつくしたくても・・・

私達が社会生活に合わせるために自分を律している部分は数えればきりがありません。その無数の数だけ私達は少しずつ無理をしているという事になります。

しかしその一方でこども達は、そんな社会生活のルールなどまだわかっていない状況ですから、

自分の要求を満たすために、遠慮することなく精一杯の力を行使します。笑ったり、泣いたり、大きな声をあげたりすることによってです。

そうやって自分の要求とそれによって得られた結果が一致している時は、真の意味で自由があるとともに心身ともに健康ですが、

その結果が得られなくなれば、自分の要求を叶えるための大声や号泣などの働きの延長戦上として、身体は病的な反応を作り始めます。

それが熱を出したり、嘔吐したり、下痢をしたり、お腹が痛くなったりといった反応です。

こうした反応を起こせば、思い通りにならない結果に対して、周囲の関心や注目を自分の向けることに役立ちますし、

最悪、どうあっても自分の思い通りでない行動のために自分が動かなくて済むようにすることができます。

この段階が私が考える所の「過剰適応」です。これらの反応の事を私達は「病気」と名付けています。

しかしそうした「過剰適応」反応を起こしてもなお自分の思い通りにならない状況が続けば、次第に「消耗疲弊」していきます。これを私達は「難病」と名付けています。

大抵のこども達は成長していく中で親を中心に社会のルールを教わっていく中で、

そのように本来の自由を追い求める行動をどこかの段階で止めて、徐々に社会のルールに合わせていく行動を覚えていきます。

いわば少しずつストレスマネジメントの方法を覚えていくという事になりますが、

これが大人になれば大人になるほど、社会のルールは複雑となり、ストレスマネジメントしていくのが困難となっていきます。

その結果が今大人を中心とした現代社会にはびこる病気の数々として現れている、と考えれば割とつじつまが合う話のように私には思えます。

病気にかかるのは、どこかで自分が無理をしているから。

病気にかかるのは、無理をしている自分に対して強制的に身体を休ませようとしている身体からのメッセージ。

そう捉えることもあながち間違いではないのかもしれません。

でも本当の自由を追い求めるなんてもはや不可能な程に社会は複雑化しました。

そうであるならばいかにそのストレスをマネジメントしていくかを考える事が、

「病気」や「難病」への真の対策になるのではないかと私は思います。


たがしゅう
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タナトスのこと

潜在意識、死や病気を通じた自己破壊要求という言葉から、フロイトの精神分析の用語である『タナトス』を想起します。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/タナトス
『タナトス』 は元々ギリシア神話に登場する死神で、人間の命を「不意に」奪っていく存在。フロイトはこの神様に、生への欲望=エロス神に対し、人間の深層意識に蠢く自己破壊要求の象徴としての意味を与えたと聞きます。
一方、東洋医学の死生観に、『人間は生まれた時に死の種を授かり、生きるということは死の種を育て、花を咲かせることだ』というものがあります。端的に言うと、人間は生まれれば必ず死ぬ。ということですが、生の中に死を育てる要素があるという認識。例としてセックスには快楽の側面と精を奪う側面があり、女性の出産は自分の命を削って新しい生命を誕生させるという健康を損なうイベントととして捉えられます。
同じ死というものを洋の東西とも不可避として捉えながら、一方は二項対立的に、せめぎ合うもの。一方は日が当たる部分に出来る影として捉える。今回の記事を拝見しての、とりとめもない感想です。

Re: タナトスのこと

やまたつ さん

 コメント頂き有難うございます。

 何事にも正の側面と負の側面がある、まさに陰陽を重視する東洋医学的な考え方ですね。
 絶対善や絶対悪のようなものはないという考えにも通じてきます。

 病気の苦しみの裏に隠れる自分らしく生きようとする身体の叫びの二面性を意識する事で行動も変わってくるような気がします。

正体

不快ストレスにおける様々なストレッサーは「明確なプレッシャー」「不明確なプレシャー」「明確な不安」「不明確な不安」に分類できると思うのですが、私個人は「不快」を感じた場合には、その四分類に当てはめて、考察し、
明確なプレッシャーには現実的な対抗策(自分の能力の習熟度を上げる等)で対応。不明確なプレッシャーには抽象的な対抗策(他者との議論等)。明確な不安には明確な対抗策(徹底した情報収集等)。不明確な不安には抽象的対抗策(他者との議論や哲学書や自己啓発書を読む等)。
を行って対処して来ました。もちろん、解決まで至らないものもありますが、この作業をすることで、不快ストレスを快ストレスへと変換することは比較的容易にできます。
もちろん、カラオケしたり、空飛んだり、魚釣ったり、キャンプしたり、プラモデル作ったり、映画を観たり、音楽を聴いたり、プログラム書いたりと言った、快ストレスによる不快ストレスの解消も行います。
しかし、そんな私でも糖病病を割と限界まで拗らせていたので、問題はやはり無知であることなんだと感じます。自分の生命を脅かす病気の正体を正確に知った上でストレスマネジメントを行わないと結果を伴わない場合もあるのではないかと感じます。
糖質依存状態の頃の私は糖質摂取が快ストレスだった訳ですが、それ故に物理的健康は悪化の一途でしたので。

Re: 正体

m.kurimoto さん

 コメント頂き有難うございます。

 m.kurimotoさんは糖質制限前からストレスマネジメントをかなり意識されていたのですね。
 それでも糖尿病を発症するという御経験は、ストレスマネジメントだけでは健康状態を維持できない事の傍証であり、
 糖質制限はストレスマネジメントと並んで健康管理の両翼を担う事を改めて感じさせられます。

 それと同時に自分にとっての「快」を認識する難しさもあります。
 糖質を摂取した時の「快」と何か優しいものに包まれた時に感じる「快」は自覚的に明らかに異質なものだと思います。
 本当に追い求めるべき快はまやかしの「快」ではなく、真の「快」だということなのかもしれません。

 2017年11月1日(水)の本ブログ記事
 「快感が良いとは限らない」
 http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-1143.html
 も御参照下さい。

No title

以前に友人と「自分が病気を選んでいる」「病気でいることで自分を保っている」と、やはり話したことがありました。
その会話から随分経ちますが、
私自身の発病当時を思い返してみるも、納得できる答えはまだです。
友人は病気に意味があるのなら必要でなくなったら、
私も治るのでは?と。その言葉を信じています。

ありがとうございます。

掲載いただきありがとうございます。

この見解で難しいのが、「潜在意識」という点です。

一般人にとって「潜在意識にいるという状況はどういったものか?」何となく感覚的にわかっても、どうやってアクセスするのか?そもそもどういう状態が潜在意識なのか?雲を掴むような話であり、心理学者でさえ分かりやすくに説明することは難しいのではないでしょうか?

その状況を打破すべく、催眠療法やシータヒーリングといった「潜在意識にアクセスして心奥深くの悩みを解決する」療法が世に数多く編み出されていますが、どれも決定的な効果を提示できるほどの力はないように思えます。

もちろん、運よく潜在意識へのアクセス方法に辿り着く方もいるはずです。

私なりの潜在意識を健全に保つ方法が、「生をありがたがる」ことです。

生を受けるとは祖先と繋がっているということで、私の場合、数年前に亡くなった祖父を思い浮かべます。

起きた時、疲れた時、楽しいと感じた時、事あるごとに祖父に感謝の意を心に浮かべます。

この瞬間の「正も負もあれ感情を抱くのは生きているから」「死んでいたら不可能だよね」といった要領です。

ちょっと自己啓発本に出てきそうな内容ですが、事実、最も腑に落ちた方法です。

「この世に産み落としてくれてありがとう。」

この感覚、心底から叫べる方は健康だと思いますよ。

Re: No title

花鳥風月 さん

 コメント頂き有難うございます。

 確かに病気の意味がわかれば、治るための道筋も見えてきそうです。
 大事なことはそれを自覚できるかどうかで、きっとそこには見たくないものとして心の奥底に封じ込めてしまっているような想いもあるのではないかと私は思います。

Re: ありがとうございます。

だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。

 潜在意識と言うと怪しい世界の話と受け止められる人も多いかもしれませんが、
 意識があるというのなら、潜在意識もおおいにあると私は思います。それが見えるものと見えないものとのバランスを理解することとも思います。

> 「この世に産み落としてくれてありがとう。」
> この感覚、心底から叫べる方は健康だと思いますよ。


 本当にそうですね。

まさに

たがしゅう先生こんにちは。

今回の記事を拝見して正に私のことだなと思いました。私もACTH単独欠損症と同じ症状があるのですが(正式な診断名はついていませんが、ACTHとコルチゾールが未検出です)、どうも成人してからの自己免疫疾患から発症したようです。

幼少時から体が弱く、何かというと病気をしていたので潜在意識の中に「私が体が弱い」ということがインプットされているのかと思います。そして、大人になり色々とやらなければいけないことや折り合いをつけることに揉まれる中で「自分が病気をしていればそれから逃げられる」ということ、「自分は体が弱いんだ!」ということが無意識のうちにあり、顕在意識の中では「健康になりたい!」と思っていても潜在意識の元では「治っちゃ困る」と思っているのかもしれません。そこから無意識に自分を攻撃して今の状態になったのかなと感じました。

そして息子も病弱で数回の入院歴があります。これももしかすると私の意識が原因なんじゃないかと思うようになりました。

まだまだ科学的な解明されていない潜在意識についてもっと知りたいと思っています。

Re: まさに

ソフィア さん

コメント頂き有難うございます。

心の在り方は確実に身体に影響を与えます。それは西洋医学的にも認められている事実です。
そうなれば表層的な「意識」だけではなく、深層的な「潜在意識」が影響していると考えても不思議ではありません。

問題はそのような目に見えない問題をどれだけメインの問題として捉えられるかで、ここに大きく個人差が生まれそうです。
もし深層に問題がある場合は、サブの問題と捉えてしまっている限り、決して解決できないのであろうと思います。
プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
漢方好きの神経内科医です。
南鹿児島さくら病院にいます。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

南鹿児島さくら病院では職員を随時募集中です。
詳しくはホームページhttp://www.nissyoukai.or.jp/
を御覧になって下さい。
見学申し込みもお気軽にどうぞ。

※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。

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