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サイアミディン

本質を忘れないで

ブログ読者のだいきちさん、ねけさんから、

異なる二つの記事に対してそれぞれコメントを頂きました。お二人とも有難うございます。

それらのコメントが偶然なのか必然なのか、一つの本質的なことを指摘している事にふと気付いたので、

本日はその私の気付きを記事にさせて頂こうと思います。

【18/04/10 だいきち
(素で生きたい)
世の中で、会社で、街角で、「素」を出せる人はそういないでしょう。
人は社会の中で、本人も気づかぬまに何かしら格好をつけて生きています
好つけすぎて「虚勢を張る」にまで肥大化してしまう人まで中にはいます。


【18/04/10 ねけ
俗にいう「専門家」なり「先生」と呼ばれる職業には大抵の場合ついてまわる現象でしょう。
いや、先生と呼ばれることは無くても閉鎖的環境では世間一般とのある程度の乖離は避けられないのかもしれません。

”先生”だって人間ですから、未完成でもあり弱い部分もあるはずですが神のごとく崇め奉ったり、あるいは主体性を放棄し丸投げ、すがりつく利用者側の姿勢も時に拍車をかけることになっているかもしれませんね。



私は医師の立場から、「医師は基本的にプライドが高い」という事を強く思うのですが、

それは「先生、先生」と呼ばれ続けてのぼせ上がる本人だけの問題ではなく、

「先生、先生」と呼び続けて真ん中にいる人を神輿にかついでいる周囲の問題もあいまって起こっているという側面があることを、私はお二人のコメントから感じました。

先生と呼ばれる立場の人間として私が思うのは、

確かに私は、特に研修医時代に、虚勢を張り続けていたということです。

仮にも先生と呼ばれる人間が、未熟だからという理由で不安を表情に出したり、次にすべきことがわからずにしどろもどろしてしまっては患者さんに対して申し訳ないという想いから、

自信がなくても自信があるように振舞っていたり、わからないことに対してもわかったかのように語っていた時代が私にも確かにありました。

医師ならば若手時代に当直帯など他の医師に相談しにくい状況で患者さんの治療でわからないことがあった時、

とりあえず血液検査などを行ってもらっている間に、ダッシュで医局へ戻って必死に調べものをして当座の解決策を導こうとするという経験は割とあるある経験なのではないかと思います。

ただここで思うのは、虚勢を張るという言葉のイメージはよくないですが、

必要に迫られて虚勢を張らなければならない場面もあるということは言えると思います。

ではなぜ虚勢を張らなければならないかと言えば、社会のシステムがそうさせている所があると思います。

扱うものが命という所から社会は歴史の流れの中で、医師という職業を格調高い周囲に尊敬されるような位置づけにさせられたのではないかと思います。

けれど命が大事とか、技術とか、私達が当たり前のように思っている価値観を取っ払って医師という存在を見つめたときに、

他の多くの職業と同じ、一つのミッションに対して向き合う生の人間の姿が見えてきます。

その人には、他の人と同じように性格があり、思考があり、生活スタイルがあり、魅力も欠点も兼ね備えていたりします。

そうしたありのままの姿を社会が作り出したルールや固定観念は、見えにくくさせている側面があるような気がします。


それでは「先生」と呼ばなければいいのかという話になりますが、ことはそう簡単な話ではないと私は思います。

とある回復期リハビリテーションの病院では、医療スタッフ間の上下関係を取っ払い、より円滑なチーム医療が遂行できるように、

医師に対して「先生」という敬称を使わず、全員「〇〇さん」と呼び合うというルールを作っていると聞きます。

その結果施される医療にどのような変化が現れるのか、私は未経験なのでわかりませんが、

上下関係を作っているのは「先生」という呼称だけではなく、社会のシステム全体の話なので、それでは所詮「対症療法」にしかならないし、

すでに構築された社会システムの中で歪みの原因とさえなりかねないと思います。

ではどうすればいいのか、「もっと本質を見よ」ということに尽きるのではないかと私は思います。


社会のシステムがまだ構築されていない世界と言えば、例えばこども達の世界です。

こども達はありのままの姿どうしで触れ合い、いつの間にか仲良しになっていたりする経験は誰しもあるのではないかと思います。

そんな風に人のありのままの本質的な部分に着目して触れ合うことができれば、社会のルールが構築されている中でも違う人同士が仲良くなることは可能なのではないでしょうか。

こども達も年月が経てば、小学校、中学校、高校・・・と徐々に社会のシステムを学び、その中で生きていく事を求められ、他人へ気を遣うというテクニックを覚えていくようになります。

そうして社会人になると、いつの間にか正しい友達の作り方を忘れてしまっていたりするのはなぜでしょうか。

それは気を遣い合うことで、その人の本質的な部分に目を向けなくなってしまった事に起因するのではないでしょうか。

本質的ではない表面的な部分にはえてして魅力は存在しないものです。

なぜならば、表面的な部分は虚構で塗り固められていたり、全く共感できない自分とは別次元の存在として目に移ったりするからです。


タモリさんがアナウンサーに「アナウンサーであることを忘れなさい」と言ったのは、

社会の中で教育されて本質的な部分を抑えて虚構だらけになってしまった人に、もともと持っている本質的な部分を思い出してもらう意図があったのかもしれません。

そう言えば、私が好きなアドラー心理学でも上下関係を作る「褒める」行為は一見ポジティブですが慎むべき行為とされていました。

偉人達は、どんな時代にあっても人間を人間たらしめる不完全な魅力に

きっと注目していたのだろうと思います。


たがしゅう
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「先生」という言葉の力

たがしゅう先生

初めてコメントさせていただきます。糖尿病発覚5か月目の糖尿病初心者です。発覚初日にネット検索で江部先生のブログにたどり着き、翌日から糖質制限を始め、HbA1cは9.6→6.1に改善しています。たがしゅう先生のブログは2月ころから見るようになり勉強させていただいています。今回の記事について感じるところがあり思いきってコメントさせていただきました。

医師に対して患者は、病気を治してくれる、患者のために治療してくれる、専門知識を持っているので正しい等のいろんな意味で尊敬の念を持ちます。それらの医師を「先生」と呼ぶときにそのような意味や価値が含まれており、「先生」と「患者」の関係がどうあるべきか、という関係性の意味・価値も含まれています。

一般的に「先生」という言葉が使われるのは、幼稚園から大学までの教員=知識や学問を教えてくれる人、弁護士、医師、政治家など特定の職業・役割の人に使います。「先生」には、は教える人、という意味だけではなく、正しい人、権力を持つ人、尊敬すべき人、従わなくてはならない人、自分より立場が上の人などの意味が含まれています。
患者が医師を「先生」と呼んだ瞬間に、暗黙のうちに両者の間に関係性ができるわけです。さらに「医は仁術」という言葉があるように、金儲け(私利私欲)ではなく患者のための尽くす職業であるという期待がありますから、極端に言うと患者から見ると「医師は私の健康や命のために尽くしてくれる存在であり、だからありがたい先生だ」という期待があるわけです。

また、医学に限らず、科学は客観的な真実を追求し正解を知っていて、その恩恵の中で近代社会は成り立っていますから科学に対する信頼と敬意を私たちは持っています。かつ科学者は科学的知識を持ち主観ではなく客観的に何が正しいか真実を語る存在であると思っているのでその言葉、指導された内容を安心して信じます。

患者が医師を「先生」と呼ぶとき、医師とはどのような存在でどうあるべきか、という意味と医師に対して患者はどうあるべきか、というそれぞれの役割と相互の関係が生じているということになります。「先生」という言葉には、患者とっては「医師は正しい人、尊敬すべき人、従うべき人、私心のない人」など様々な意味・価値があります。
一方、先生と呼ばれる医師は「間違ってはいけない」という思いが強くなればなるほど、考えが窮屈になったり守旧派になったりしがちかもしれません。自分の間違いを認められない(「先生」は間違っていけない、という考えが強ければ強いほど間違いを認めると自己の先生」としての存在を否定することになってしまいます)

ではどうすればよいか、ということに正解はないと思うのですが、
謙虚に顧みること、自分の考えやものの見方を疑ってみることが必要ではないかと思っています。

患者としては、江部先生やたがしゅう先生のブログで学び、糖尿病治療に糖質制限がよい、と思って実行しているわけですが、あくまでそれは自分が決めたこと、その考えも絶対正しいとは言い切れないし、糖質制限に反対する考えに出会ったときは考えるチャンスとして否定することなく学ぼうと思っております。


何をいいたいのかまとまらないコメントで申し訳ありません。
なぜかお伝えしてみたくなりました。

たがしゅう先生のブログを拝見すると、ご自身の考えや知識を絶対しせず謙虚に顧みられているように感じることが多く、その姿勢に尊敬の念を抱いています。(かっこいいな!と思っています)

最後に蛇足ですが
「医師に対して「先生」という敬称を使わず、全員「〇〇さん」と呼び合うというルールを作っていると聞きます。」

とありますが、企業社会では「部長」とか「課長」など呼称で呼ぶことをやめて「さん」付けする、ということがかなり行われています。なぜそうなってきたのかはいろいろな理由があるのでしょうが、呼称の持つ権威によって意見が言えなくなる、権威への服従という心理が働くことを防ぐ、という目的もあるかと思います。
私は医療スタッフ間だけでなく、患者が医師を「さん」と呼ぶ病院やクリニックができたら患者の主体性尊重や人権の尊重という点でどんないよいのに、と思います。ただ、「先生」だけでなく先生に頼りきっている患者もそれは受け入れがたいのかもしれませんね。

Re: 「先生」という言葉の力

ホリデー さん

 コメント頂き有難うございます。

 御指摘のように、「先生」という呼称の撤廃に関しては、医師だけではなく患者さんの方にも抵抗があるでしょうね。

> 企業社会では「部長」とか「課長」など呼称で呼ぶことをやめて「さん」付けする、ということがかなり行われています。

 清廉潔白、完全無欠など管理職や指導的立場の人間に対する不要なイメージ付けを避けるためにも、何もしないよりは「さん」付けにすることで効果が出る可能性はあると思います。しかし所詮は対症療法に過ぎないというのが私の考えです。医師を「〇〇さん」と呼んだところで、その人を「正しい人、尊敬すべき人、私信のない人」などと捉えてしまっていれば意味がありません。

 逆にぎこちなくなるくらいなら「先生」と呼んでもいいから、フラットな人間関係で接してもらう方が私は良い交流ができるのではないかと思っています。

No title

たがしゅう先生
コメントありがとうございました。
言葉を変えることは対処療法にしか過ぎない、というお考えと理解しました。
これからも学ばせていただきます。よろしくお願いします。

岩田健太郎のBlogより

◇神戸大感染症内科フェローの21戒

http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2014/08/神戸大感染症内科フェローの%EF%BC%92%EF%BC%91戒.html

非常に参考になります

Re: 岩田健太郎のBlogより

中嶋一雄 先生

 情報を頂き有難うございます。

 神戸大学感染症内科、教育に力を入れている様子がうかがえますね。
 ひとまずは医業を成す上での基本がよくまとめられていると思います。

 フェローのうちはそのルールを順守する事でよいと思いますが、その次のステージに進むなら、守破離の観点でルールを疑う視点も持つことができればなおよいかと個人的には思います。
プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
漢方好きの神経内科医です。
南鹿児島さくら病院にいます。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

南鹿児島さくら病院では職員を随時募集中です。
詳しくはホームページhttp://www.nissyoukai.or.jp/
を御覧になって下さい。
見学申し込みもお気軽にどうぞ。

※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。

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