サイアミディン

突き詰めた主体性

ある方から私が推奨する「主体的治療」に関して、

「血圧が高いので血圧を下げたいと思って薬をもらいに来る人も主体的なのではないか」という御指摘を受けました。

言われてみればこの行動は確かに主体的です。しかし勿論こうした医療の在り方は私が望ましいと思っている内容ではありません。

またこうも言われました。「主体的に行動したいと思っても、医療関係者と違って一般人が情報を集めるにはネットで調べると言っても限界があり、ある程度委ねるより他にないのではないか」と。

例えるなら、家を購入したいと考えます。人生最大の買い物だから慎重になって様々な情報を得ようとします。

それでも住宅関連業者との情報量の差は歴然としているので、様々な業者を比較して最終的には納得できる説明をした業者へ判断を委ねるしかないのではないか、医療もそれと同じではないかという御指摘です。
分かりやすいたとえで、確かに素人としてはそうするしかないという気持ちもよくわかるのですが、

家購入の例えと健康管理とで決定的に違うのは、扱う対象が自分の身体であるか否かという点です。

家購入を失敗したとしても金銭的な大損害を受けはするでしょうが、命までとられることはありません。

判断を他人に任せるということは多かれ少なかれ自分の意図とは異なる結果がもたらされるリスクを請け負うことです。

そうしたリスクを請け負った上でそれでも家が欲しいならお金を出すでしょうし、リスクが高いと判断されれば家を買わないという選択をとることになるでしょう。

そういう形で他人に任せるリスクとベネフィットを天秤にかけて人は決断していくと思います。

しかし健康管理の場合は、これを失敗すれば損害を被るのは自分の身体です。

極端に言えば、最悪死に至るという結末にまでつながる可能性を持っている問題です。

それを家購入と同様のレベルで人に任せていいのかというのがまず一つ。

もう一つは、専門的な知識の有無に関わらず、自分の健康状態を理解するのに一番有利な立場に立っているのは他ならぬ自分自身だということです。

逆に言えば、医療の専門家達は自分の健康状態を知りにくい立場からあれこれ意見を述べる外野的存在です。

家購入の場合は、立場的にも知識量的にも客より業者の方が優位に立つことができますが、

健康管理の場合は、知識量は患者より医師の方が優位に立つことができても、立場はどんな医師よりも絶対的に優位に立つことができます。

なぜならば自分自身は24時間365日自分自身の体調変化と向き合っているからです。

そんな優位な立場にありながら、その判断を立場の弱い他人の医師に任せてもよいのかという事を考える必要があるのではないでしょうか。


では降圧剤を求めて主体的に行動を起こすという患者の存在はどう考えればよいのでしょうか。

私が目指す未来はそういう所にはないはずですが、確かに「主体的医療」には違いありません。どこで食い違いが生じているのでしょうか。

もしかしたら、患者がいろいろ考えた上でそれを本当に望んでいるのであれば、私はおとなしく薬を処方すべきなのかもしれません。

しかしそうした患者は自分の体調と正しく向き合っていない可能性があります。

降圧剤を飲んだ所でおそらく短期的には何も悪いことは起こらないであろうと思います。

ところが時を経て動脈硬化が進行した時に、降圧剤を飲み続けることで本来血圧が上がるべき状況になった時にも、

降圧剤によって血圧がうまく上げられなくなるため、末梢のすみずみにまで血圧を行き届かせることができなくなり、それによる体調不良を自覚していく可能性があります。

もしかしたらそれを本人は「年のせいだ」と解釈するかもしれませんが、もしかしたらそれは飲んでいる薬の副作用かもしれません。

そうなった場合にそのまま知識を持たない患者は、何の疑問も持たずに降圧剤を飲み続け徐々に体調が悪くなっていくコースを進んでいくことになってしまいます。

この状況は本人からすれば主体的に行動した結果なのかもしれませんが、私から見れば疑いなく流れに身を任せて行動した結果訪れた受動的医療の被害者です。

ここでもし私が望ましいと思う主体性が発揮されるとすれば、自分の体調をおかしいと感じ、それを主体的医療をサポートする医院に相談します。

もしそうやって主体的に行動した人が私の元へ来れば、私はその患者さんへ「あなたの体調不良は降圧剤を飲んでいるせいかもしれません」というアドバイスをするでしょう。

そうやって主体的に行動する患者さんには、その人の健康の自主管理をサポートする情報を与え、軌道修正の機会を与えることができます。

しかしそういう行動を起こさない人、例えば「いつもの薬を下さい」という人には私はアドバイスすることができません。

なぜならば、もしそういう人に私が同じように「あなたの体調不良は降圧剤を飲んでいるせいかもしれません」と言えば、

薬を欲しいと思っている患者さんに対して、私のアドバイスは単にストレスを与えるものとなってしまうかもしれないからです。

患者のニーズと一致していないアドバイスを医師はするべきではないと言い換えることもできます。


「主体的医療」を考える上で、ただ単に「患者が主体的に行動する」というだけではきっと不十分なのだと思います。

自分が最も体調を把握できる優位な立場にいることを認識し、

自分の体調に最も関心を高く持ちつつ、自分なりの健康管理法を試していく。

その中で自分が最も信頼できる医師をサポーターとして選び、

自分の行動と自分の評価をサポーターに伝え、サポーターは自分の持つ医療情報を提供して、

情報の非対称性を埋め合わせながら、自分にとって最善の行動を目指して軌道修正を繰り返す。

ここまで突き詰めた主体性がなければ、私が望ましいと考える「主体的医療」の実現は困難だと思います。

こうまで考えられる人は現時点で極めて少数派でしょうが、決してゼロではないと思います。

そのごく少数派の人達と新しい医療を展開することができれば、

それは、きっと双方にとって良い医療になるのではないかと夢見ています。


たがしゅう
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No title

主体的医療をサポートする医院

まずこういった先生に会ったことがほとんどありません。
そして、患者側の医師・薬信仰も相当なもの。
例えば熱をだして会社を休むとまず言われるのが「病院きちんと行けよ」「薬飲んだか?」です…。

世間一般では病気は”病院行って薬で治すもの”
これがとても根深く、そのような風潮であってもらわねば困る存在も多いのでしょう。

主体的に学び先生に質問しようものなら「素人はだまっていう事聞いて薬飲んでろ」的な高圧的な態度をとる先生もすごく多いです。

主体性の芽をつまない環境がより広がればいいなと思っています。

Re: No title

おおうら さん

 コメント頂き有難うございます。

 御指摘のように今の世の中で主体性の芽を育てるのは難しいことだと思います。
 これまで主体性の芽を摘み取る文化があまりにも長く続き過ぎてしまった感はぬぐえません。

 そんな中で折角生まれた主体性の芽をつまないで済む環境作りを着実に進めていきたいと思っています。

No title

患者が「突き詰めた主体性」を持っていたとしても、主治医に対して「あなたの診療方針は適当なのでしょうか?...」などと面と向かって言い出すのは極めて困難だと思います。
そこで必要となるのが患者と主治医以外の第三者である相談相手の存在だと思いますが、それがインターネットの情報や素人である親類や知人の助言では、「突き詰めた主体性」を持った患者が自分の頭で考えて十分に納得することは出来ないと思います。
そんな時に頼りになるのが普段から自分の体調をさらけ出して、ざっくばらんに話し相手になってくれる「掛りつけ医」の存在ではないかと思います。
「病気と言うほどではないけど、なんか気になるから話をしに行ってみようか。」なんて気軽な感じでも相手をしてくれる「掛りつけ医」がたくさんいたらいいなと思います。
そんな「掛りつけ医」に必要となる素養としては、
 1.患者の話をじっくり聴く
 2.無理に病名を特定したりしない
 3、取り敢えず的な薬を処方したりしない
 4.総合診療医的な知識が豊富
などが必須となると思います。
でも、その様な医師は勤務医の場合は「お前みたいな儲けを出さない奴はいらない。」となりそうですし、開業医の場合は経営破綻しそうです。本当に難しいです。医療報酬制度の根本からの見直しも必要なのかも知れません。
と、いろいろ書きましたが、こんな事は、たがしゅう先生が既に苦悩されている対象の一部分なのかも知れませんが。

健康は自主管理でしかあり得ないような気がします。 他人に任せた時点で遅かれ早かれ終わりかと。どんなきれいごとを並べても生きることは厳しいことだと思います。無知は罪なり。知は空虚なり。英知を持つものは英雄なり。お医者さんとか、頭の良いと言われてる方は、だいたい知は空虚なりですよね(笑) 知と英知は雲泥の差です。無知と知はほぼ同意語な気がしますが。。。この意味をわかってくれる人はほとんどいませんが(笑)

Re: No title

名無し さん

コメント頂き有難うございます。

> 患者が「突き詰めた主体性」を持っていたとしても、主治医に対して「あなたの診療方針は適当なのでしょうか?...」などと面と向かって言い出すのは極めて困難だと思います。
> そんな時に頼りになるのが普段から自分の体調をさらけ出して、ざっくばらんに話し相手になってくれる「掛りつけ医」の存在ではないかと思います。


主体的医療を実践するためには患者と医師のコミュニケーションが円滑であることが重要だと思います。互いに敬意を払い合い不必要な気を遣い合わない関係性です。従って主治医と相談できるかかりつけ医が同一人物となることが理想です。
そもそも患者は数あるクリニックの中から、「ここであれば自分の主体的医療を行うことができる」と思うクリニックを主体的に選択します。もし受診後、自分の希望とそぐわない対応があった場合には軌道修正を求めるようコミュニケーションを図るし、それでも変わらなければ、主体的に別のクリニックへ変えるという選択をとります。

このように患者の主体性が主導権を握るのが主体的医療の基本構造です。
ちなみに現時点ではおそらくそのように行動しない人がほとんどだと思いますが、そうした人達の従来型医療行動を邪魔しないことも主体的医療の大きな特徴のひとつです。

>その様な医師は勤務医の場合は「お前みたいな儲けを出さない奴はいらない。」となりそうですし、開業医の場合は経営破綻しそうです。本当に難しいです。医療報酬制度の根本からの見直しも必要なのかも知れません。

まさにその通りです。
だからこそ主体的医療を展開するための新しい仕組み作りが必要だと私は考えています。

Re: タイトルなし

なおき さん

コメント頂き有難うございます。
確かに人に任せることはリスクを伴う行為です。
そのリスクが最小限となり、メリットが最大限となる主体的医療を突き詰めていきたいです。

> 知と英知は雲泥の差です。無知と知はほぼ同意語な気がします

知識にあぐらをかいて益たる行動を起こさない人物は、何も知らずに行動を起こさない人物と同等、という意味でしょうか。
知識を英知に発展させることができるかどうかはその人次第ですね。

知るとは知らないことを知ることだと思うので、知ったと思ったらそこでもう終わりですよね。 知識にあぐらをかくということは、何も知らないことに何も気づいてない愚か者か、何も知らないから何も行動を起こせないのか。。。人として知ってるつもりが一番怖いし、知らないことを知ってる人は一番強いですよね。ずっと学び続けることが出来ます。人ひとりが一生に求められる知なんてあるかないかだろうし、あとはわかったつもりでいるだけなんだろうな。

Re: タイトルなし

なおき さん

 コメント頂き有難うございます。

> 知らないことを知ってる人は一番強いですよね。ずっと学び続けることが出来ます。

 その通りですね。私もそう思います。
 自分が学ぶ、考えることをやめなければ思考の樹はいつまでも育ち続けます。それが故に人生は奥深いと思います。
プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
漢方好きの神経内科医です。
南鹿児島さくら病院にいます。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

南鹿児島さくら病院では職員を随時募集中です。
詳しくはホームページhttp://www.nissyoukai.or.jp/
を御覧になって下さい。
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※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。

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