サイアミディン

あえて友だちを求めない

あけましておめでとうございます。

今年最初のブログは「友だち」について考えてみたいと思います。

糖質制限が大分世の中に知られるようになってきたとは言え、

全国民の中の割合でいけば、まだまだ糖質制限実践者は少数派(マイノリティ)の範疇だと思います。

そのような画期的な食事療法を推進する立場にいますと、最初は孤軍奮闘と言いますか、

多かれ少なかれ一人で孤独な闘いを強いられることになりがちです。

そんな中、私は以前タレントのタモリさんがおっしゃった「友達はいらない。諸悪の根源である。」という言葉に、

妙に共感を覚えるとともに、背中を押されるような想いがした経験があります。

一方で糖質制限を広めるにあたっては様々なコミュニティやグループってあると思いますし、それはそれで大事だとも思います。

なのになぜ「友達はいらない」という言葉に心打たれるものがあったのか、

その理由を考えていた時にとある一冊の本と出会いました。


ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21) 新書 – 2014/8/18
蛭子 能収 (著)


タレントで漫画家の蛭子能収さんが書かれた本です。

蛭子さんはテレビで見たことある方はよくわかると思いますが、いつもニコニコなまさにエビス顔といった雰囲気を持っておられる方です。

「思ったことを遠慮せずなんでも正直に言っちゃう」というようなキャラクターが受けて、最近では旅番組などでも大人気だそうです。

そんな蛭子さんが自分の人生を振り返って書かれたのが上記の本なのですが、

読んでみると非常に納得のいくメッセージがたくさん書かれていました。

本の帯部分には次のようにも書かれています。

人づきあいって本当に必要ですか?」

というのも蛭子さん曰く、自分は内向的な人間であまり人と群れる事を好まなかったそうです。

食事会や飲み会も好まず、同窓会も敬遠し、結婚式や葬式にも極力出ないスタンス、

テレビでうまく行っている人なのに「えっ?」と思われるかもしれませんが、現在の地位を築かれるに当たっては実は蛭子さんなりの人生哲学がありました。


例えば、中学生の時にある不良グループにパシりのような事をさせられ続けていたというエピソードがあります。

普通の人ならそんな状況が続けば「自分はいじめられている」と思いそうなものですが、

蛭子さんはむしろ「グループの一番下の人間として構われている」→「好かれている」という風に本心から思っていたそうです。

こういう状況でも「嫌われている」と思わない、というよりも自然にそのように考えられていた所を見ますと、

蛭子さんの生き方からも苦境を好意的に捉えるアドラー心理学の考え方が読み取れます。

そしてそんな自然体の蛭子さんが、一方で意識的に心がけていた基本ルールは「自分がされて嫌なことは、他の人にも絶対にしない」ということです。

シンプルだけど、このルールを守り抜く事で、内向的な自分でも交友関係が生まれ今の状況につながったのではないかと蛭子さんは自己分析されています。

なかなか見習うべき所の多い蛭子さんの言葉ですが、本の中で友達を作る事については次のように述べておられます。

(p36-37より引用)

●「群れ」にはリーダーが君臨する

グループを作ると、そのなかには必ずリーダー的存在の人が生まれるものです。

"グループにはまとめ役のリーダーたるものが必要"だという組織論的な考えは理解できますが、

その人がもし性格の悪い人だったらグループはメチャクチャになるでしょう。そこは本当に気を付けたほうがいいポイントだと確信しています。

グループっていうのは、"集団"だから、どこかしらで安心感のようなものが芽生えるかもしれません。

人間は結局のところちっぽけで弱い生き物ですから、きっとその安心感で「自分はひとりではないんだ」「みんなといれば守られている」と思って勇気づけられるのかもしれない。

野生動物の多くがそうであるように、生き物は「群れる」習性があるから、人間だって同じことなんでしょうね。

でも、グループは必ずしもいいものではなくて、ときとして凶暴になる恐れがあります。

ある種、おかしな方向に行ってしまったら、それはもう歯止めが利かなくなると見ているんですよ。会社組織もそうですよね。

社内にそういうグループ(派閥)ができてしまったら、そのグループのなかにいる誰かをいじめようとか、そういう考えのある人が、大人でも結構いるものですよ。

志が同じだからその派閥に入ったのに、人間関係がおかしくなるようなことだってあると思うんです。

本人はいいと思って群れたのに、なんだかおかしな話です。

そんなことも含め、とにかく、グループに入っていいことはそんなにないような気がしてなりません。

(中略)

(p53-56より引用)

●友だちはいらない

ここまで、「群れ」や「グループ」について書いてきましたが、それをもうちょっと深く考えてみます。

そもそも「友だち」って必要なのでしょうか?


もちろん、誰かと他愛ないことをしゃべったり、ときには腹を割って話したりすることは大事でしょう。

僕自身も、一度話し始めたら割と話し続けるタイプだし、自分の話をするのは嫌いではありません。

でも、「友だち」が必要かどうかについては、少し疑問を持っています。

いまの時代、「友だち」や「仲間」、あるいは「つながり」や「絆」を、必要以上に重く傾向があると思います。

でも、そうまでして「友だち」って必要なのかなあ。例えば、「友だちだから言われたことは断れない」-これは違う。

「友だちだから断れる」ならわかるけれど、「友だちだから断れない」というのは、僕には理解できません。

冷酷な人間なのではなくって、もし、誘いを断れないような存在を「友だち」と呼ぶのなら、僕は「友だち」なんていらないという考えです。

そもそも、「友だち」がいることのメリットってありますか?たとえば、「悩みを相談できること」でしょうか?

でも、僕の場合、自分の悩みは、すべて自分で解決することにしているんです。

というのも、誰かに悩みを相談して、「なるほど」と思ったことがほとんどないから。だって、その悩みについて誰よりも詳しいのは自分ですよね。

だったら誰かに話すよりも、とことんまで自分で考え抜いたほうが、きっといい結果が出るような気がするんだけどなあ。

だから、自分の悩みを他人に話すということを、僕はまったくしません。

逆に言うならば、もし僕が誰かに悩みを打ち明けられたとしても、僕はその人の助けになるような答えを絶対に出せない自信があります。

もちろん、意見をすることはできるけれど、多分それは正解じゃないと思う。

どんなに詳しく悩みを話してもらったとしても、その問題について、僕はその人ほどよく知らないのですから正解は出せません。

悩みを相談するときというのは、大体その人のなかにもう答えがあるものです。

それがあった上で話していることが多いと思うんですよね。それを確認したり、後押ししてもらうために、誰かに悩みを伝えるわけです。

だから、それを聞くことはできたにせよ……僕が意見してもしょうがない。

仮に僕がその人と違う結論を出したとしても、きっとその人は自分が出した解決策のほうを選ぶと思う。だったら、意見するだけムダにも思えてきてしまうんです。

実際、悩み相談なんて、そんなものだと思うんですよ。

みんな最終的には、自分の責任で自分の思うように行動する。少なくとも僕は、ずっとそうしてきました。

そうやって「お互いの悩みを相談し合う」関係のことを「友だち」と呼ぶのは、ちょっと違うと思うんですよね。

そこで新しい解決策が出ることはきっとないだろうし、当事者たちも、じつはそれを求めていないんじゃないかな?

むしろ、そういう雰囲気を楽しんでいるだけというか、お互いの悩みを相談し合っていることに安心するという感じなのではないでしょうか。

うがった見方をすれば、そうやってお互いの弱みを握り合っていることによって、その関係性を取りつないでいるとも見えてくる。

そんな関係、僕はやっぱり不要に感じてしまうんです。

そういう「安心感」を求めるための「友だち」作りなんてやってもしょうがないですよ。

「友だち」なんて、結局いつかはささいなことで離れるもの。

「友だち」を作る努力をするくらいなら、「家族」を作る努力をしたほうがいい。


僕はそんなふうにとらえているんですよね。

(引用、ここまで)



この文章を読んで、私は自分の中にあったもやもやとした思いの理由がわかったような気がします。

そのニュアンスを端的に述べるならば、私は「友だちが欲しくない」のではなく、「友だちを積極的に求めていない」のです。

私の現在の活動は、基本的にすべて自分の頭の中で考えたことの連続で成り立っています。

糖質制限にまつわる様々な疑問は自分で調べて自分で考えるようにしています。

もちろんどこかの派閥に属して疑問に対する回答をもらおうとも思っていません。

まさに蛭子さんの言うように、私以上に私の問題を詳しく把握している人間はいないのであって、自分の疑問を話題にする事はあっても、誰かからの答えを期待するわけではありません。

そうした一人の活動をひたむきに続けていく事で、同じ志を持つ仲間達が結果的に集まるのがよいのであって、

自分から何かを求めてグループに属そうと思わないというのが私のスタンス
、すなわち「友だちはいらない」スタンスです。

年賀状を書かないのも、バレンタインの義理チョコを嫌がるのも、同窓会に出ないのもそういうスタンスが根本にあるからなのかもしれません。

賛否両論あるかもしれませんが、蛭子さんの意見に私は大分近いです。

言い換えれば、「自分の気持ちに正直であれ」という事であり、変にグループに属するとそれが歪められてしまうかもしれない。

だから自由な立場で自由に考えられるのが一番大事という事であるように思います。


最後に、友だちよりも「家族」が大切である事も蛭子さんは語っておられますが、

自由に考え続ける自分を温かく見守って微笑みながらいつも受け止めてくれる人生のパートナーがいれば、

確かにそれ以上に素晴らしい事はないと思います。

そんな蛭子さんからのメッセージを心に受け止め、

私の2016年をスタートしたいと思います。


たがしゅう
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No title

たがしゅう先生

私も蛭子さんのこの本読みました。

私も(結果的にかもしれませんが)、友達を積極的に求めていないのかなと実感しました。

ネットが広がり始めた頃、自分の趣味のゴルフ仲間を求めて、多くのサークルへ参加しましたが、蛭子さんのおっしゃるように必ず群れが出来、次第に支配や排除が始まります。
前向きな関係なら良いのですが、誹謗中傷を好む裏的な関係(良くも悪くも本音を言い合える関係?)が出来上がります。
私は中庸的に振る舞うことで関係を保つよう努力するのですが、排除的なグループとは次第に距離が離れて行きます。
当初はそれが悲しくもあり、落ち込み、自分を叱咤し、そうならないよう努力しましたが、結局は非の無いところの否定というか、全てを捧げて属さなければ仲間と認めない的な考えには到底賛同出来ないし、そんな自分を圧し殺してまですべきことではないことと思えるようになりました。

今は私も蛭子さんの考えに近いのかなと思いますし、たがしゅう先生のおっしゃる

> そうした一人の活動をひたむきに続けていく事で、同じ志を持つ仲間達が結果的に集まるのがよいのであって、自分から何かを求めてグループに属そうと思わない

にも同感です。

私も、数年前から年賀状止めましたし、同窓会にも行きません。
LINEもやりませんし、FBもTwitterも興味なしです。
今の子供たちはLINEとか便利かもしれませんが、大きな事件を見るに付け可哀想だなと思います。

Re: No title

福助 さん

コメント頂き有難うございます。
また共感して頂いて嬉しいです。

おっしゃるようにLineなどで昔はありえなかったようないじめが、事件に発展するのを見聞きすると大変やるせない想いが致します。

人付き合い

たがしゅう先生

あけましておめでとうございます。
はじめてコメントします。私は今年で51歳になります。友達というか人付き合いについてです。
私は、人付き合いでは小学生の頃から悩んでいるというか、いろいろと考えていました。放課後にそれほど遊びに行きたくなくても周りと合わせたり、例えばスーパーカーが流行ると興味がないのにあるように振舞ったりしていました。友達が多かったわけではありませんが、人気者で学級委員になっていました。大学でも歓迎会やコンパがありましたが、参加するのが嫌で、行かないことも多々ありました。
そして、社会人になり、飲み会も仕事のうちということもあり、仕方なく、しかしそういうそぶりを見せることなく参加しています。管理職になり、立場上、2次会にも顔を出さざるをえないこともあります。決して自分に正直に振舞っていません。いや、できないというのが現実です。あえて自分から積極的に群れることには参加しないようにはしています。だから、ゴルフは絶対にしません。
そうかと言って、糖質制限の会や他の会にも参加し、参加者と話をすることには苦痛はありません。しかし、そこで何かグループのようなものができはじめると、私は苦手に思うような気がします。
こういう自分は特殊なのだろうか?自分が周りに同調できない、わがままなだけではないのか?周りを見ていると、そのように思っていました。人間として社会と関わることは大切だと思うのです。どういう関わり方が良いのか、そして周りはどこまでならば普通に受け入れてくれるのか、こういうことを考えて今まで来たように思います。
今回のたがしゅう先生の記事を読んで、改めて考えました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Re: 人付き合い

じょん さん

コメント頂き有難うございます。

> こういう自分は特殊なのだろうか?自分が周りに同調できない、わがままなだけではないのか?

私は誰もが特殊で、誰もがわがままであってよいと思っています。
わがままというのが聞こえが悪ければ「あるがまま」、即ち「自分らしさを大切に」という事です。

>人間として社会と関わることは大切だと思うのです。

それはその通りだと思います。
人間一人で生きていく事はできませんから。
ここで大事なことは、考え方を「自己犠牲」ではなく「自己受容」に切り替える事です。

わがままな自分を、あるがままに受け入れることから全てスタートさせます。
例えば、飲み会に参加したくない自分に罪悪感を感じるのではなく、そう思う自分をあるがままに受け入れるのです。
それで嫌われるかもしれないけど、それで嫌うような人とのつながりは本当に必要なのかと考えるわけです。
その結果、「嫌われる勇気」を持って、行きたくない自分を受け入れる事ができれば、まずは心が軽くなると思います。

それに本当の友だちなら、飲み会に行かないくらいで自分の事を嫌いにはならないはずです。そのように「他者信頼」をします。

そして一方で糖質制限の会など自分が心から参加したいと思う催しには、これは心置きなく参加すべきです。現に私もそうしています。「友だちはいらない」と主張するのに矛盾するようですがそうではありません。
ここでは「参加したい」という自分の気持ちを大事にする事につながるわけです。

そうやって自分の気持ちに正直でいて、その事が誰かの為になる「他者貢献」ができれば幸せを感じます。それが人生の好循環の基本的な構造ではないかと私は思います。

ありがとうございます

たがしゅう先生、ありがとうございます。先生からいただいた助言を頭において、考え方を転換できればと思います。今年もいろいろと勉強させていただきます。よろしくお願い致します。

ひとり

明けましておめでとうございます。

昨年は本当にお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

私も、本来ひとりが好きです。
気の合わない人と気をつかいながら一緒にいるくらいなら1人の方がずっと楽です。
こんな考えなのでなんか違うかもと思う人とは自然と距離をおくので年々友達が減ったり、その一方で新しい気の合う友達が増えたり・・・。
お昼ご飯も、現在の職場ではみんなで一緒に社食をいただくのですが、私は、血糖値が上がるので可能であれば自分のお弁当をいただきたいとお願いしていつも1人別室で休憩をさせていただいてます。
ただ、社会生活をするうえで、ある程度の協調性は必要なのかなとも思います。
いくら1人が良いと言っても、みんながそれぞれ個々にバラバラの行動をとっていてはいけないような気もします。
私の1人昼食&休憩は、それを許容して下さったからそうさせていただいてますがダメと言われればまた何か違う形を考えていたと思います。(でも社食は無理です。カレーとか麺類プラスご飯とか出たらアウトですから)
色んな世間のお付き合いや、年賀状なども、イヤイヤやる人にとっては苦痛かもしれませんが、私はいつも相手の顔を思い浮かべながら1人1人メッセージを考えて書いたり、送り物をしたり、それなりに楽しいです。
要は、イヤイヤ群れる事、周りに合わせる事が苦痛な人はそうせずに、苦痛でない人はそれを楽しめば良いと思います。
1人が良いから、忘年会も新年会もいらない、勤務時間内さえしっかり仕事をしていれば他での付き合いは一切必要ない、だからそういう事は一切全てなくしてしまおう。そんな世の中になったら、少し寂しいかもしれません。
嫌な人は参加しなくても良いと思います。私も飲み会の幹事をよくさせていただきますが、イヤイヤ参加していただくなんてとっても嫌です。
色んな付き合いを前向きにとらえられる、それなりに楽しめる人だけがお付き合いという時間を楽しんだら良いのではないでしょうか?

Re: ひとり

かず さん

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

> ただ、社会生活をするうえで、ある程度の協調性は必要なのかなとも思います。

 それは私も同意します。すべてを自分の思うがままにだなんて現実的ではありませんからね。

 アドラー心理学にしても、今回の蛭子さんの考え方にしても、人生の困難に立ち向かう時に自分が生きやすくなるための考え方、処世術のような事だと思っています。

 おっしゃるように、行きたいと思うものには行く、行きたくないと思うものには行かない、まずはその想いを大事にします。
 その上で社会との関わりを考えた上で周りに合わせないといけないと判断せざるを得ない場合は、そんな自分を受容します。
 そしてその状況の中で今度は自分が他者を信頼し、できれば他者へ貢献する。そういう心の持って行き方ができれば良いのではないかと私は思っています。

No title

初めまして、よろしくお願いします。

去年の夏から糖質制限を始めて、ロムだけで学ばせて頂いてました。
患者でしかない私には、専門的な内容は理解が及びませんが、新しい知識は面白いです。

血糖値や血液検査の数値は正常ですが、長年体調不良に苦しめられており、試行錯誤の連続です。
糖質制限推進派の先生方の多くは、患者のことを考えて下さってて、読んでいて嬉しくなりますね。


私は暴行・虐待サバイバーで、幼い頃から独学で自己治療をしてきました。
精神科では「自力ですでに治療目標を達成済み、することがない」そうです(苦笑)
大概の専門書に反発を覚えるのですが、アドラー心理学には同意できました。

特殊な生活をしてきましたから、
「自分のことは自分が一番詳しい」その通りだと思います。
数年、広く(浅く)交際する実験もしてみた結果、自分には適正がないと割り切りました。
喜ぶポーズをとるのが礼儀、みたいな圧力、苦手です。
治療も食事も付き合いも1種類ではなく、多様性に対応できる社会に近づくと良いですね。

たがしゅう先生のブログは参考になる記事がいっぱいで、また感想などお邪魔してしまうかも。
いつか先生の診察を受けてみたいです。

Re: No title

AK さん

 コメント頂き有難うございます。

 自分で考える力を持っている人はアドラー心理学と相性が良いと思います。

 御指摘のように、社会が多様性を受け入れられるのが一番良いですが、そうなるまでの間は個性も苦境も受け入れて活かす力が重要になると思います。
プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
漢方好きの神経内科医です。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

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