がんじがらめにならない
糖質制限をめぐっては全国津々浦々様々なグループが立ち上がり、盛り上がりを見せています。
インターネット上の集まりからオフ会までその数はかなりのものになっていると思います。
「ヒトは群れる動物」ですのでグループが出来上がるのは必然だと思いますし、
グループの中でしか得られない情報やそれを共有する事で得られる一体感、団結心なども得難いものだと思います。
ただ私自身はグループの中にどっぷりと浸かる事を好まない人間です。
なぜならばグループに属せば属すほど自らの自由度が失われていってしまうからです。
またグループを作る事でグループに入っている人達とそうでない人達との間で意識的にせよ無意識的にせよ、区別、下手したら優劣の概念が生まれます。
真に糖質制限が広まっていくためには、公平性という考え方が不可欠であるように私は思うのです。
インターネット上の集まりからオフ会までその数はかなりのものになっていると思います。
「ヒトは群れる動物」ですのでグループが出来上がるのは必然だと思いますし、
グループの中でしか得られない情報やそれを共有する事で得られる一体感、団結心なども得難いものだと思います。
ただ私自身はグループの中にどっぷりと浸かる事を好まない人間です。
なぜならばグループに属せば属すほど自らの自由度が失われていってしまうからです。
またグループを作る事でグループに入っている人達とそうでない人達との間で意識的にせよ無意識的にせよ、区別、下手したら優劣の概念が生まれます。
真に糖質制限が広まっていくためには、公平性という考え方が不可欠であるように私は思うのです。
例えば、糖質制限から派生してAという治療法のグループが立ち上がったとします。
Aという治療法を学ぶためにその研究グループに所属したとしましょう。
ところが自分の頭で考えていくにつれ、ふとAという治療法には欠点がある事がわかった場合に、
そのグループ内でその欠点を指摘する事には困難さが生まれます。指摘した事によってグループ内からの総批判を浴びる事になるかもしれないからです。
きちんと「嫌われる勇気」を持っていればいいですが、自分がグループ内の中心的存在であればあるほど、Aという治療法の欠点を指摘する事は困難になります。つまり軌道修正が容易ではなくなるという事です。
ところがこれがそのグループに属していなければ、「Aという治療法にはこんな問題点がある」という事を自由な場で述べる事ができます。
つまり「グループに属する事で情報の入手が容易になる代わりに、情報の自由度が失われる」というように一般化できるかもしれません。
じゃあたがしゅうは全くグループに入らないのかと言われれば、そうではありません。
私もグループには属します。ただ、グループに属する事によってがんじがらめにならないようには心がけています。
私のグループに対するスタンスは、「入りたくなったら入っておいで、辞めたくなったらいつでも辞めていいよ」です。
言い換えれば、「来る者拒まず、去る者追わず」。これは私の日常診療における糖質制限指導にそのまま通じている考え方です。要はゴリ押しせずに選択肢を与えるというスタンスです。
今までのカロリー制限だって、いろいろな治療選択肢を提示した上でカロリー制限を選ぶというのならそこに本質的な問題はないと思います。何をどう選ぼうと患者さんの自由ですから(不幸な選択をしてしまったなぁとは思いますが)。
問題は治療法がそれしかないようにゴリ押ししてしまう事です。もはやこれだけ認知され、制限世界内でのエビデンスでさえ蓄積され始めた糖質制限ですから、
この状況下でそれでもカロリー制限しか勧めないという指導は、無知以外の何物でもありません。
そのようなおかしな状況が生み出される事と、グループで固まるという発想は本質的にはつながっているのではないかと思うわけです。
第二のカロリー制限強要が生まれないように、情報へのアクセスはフリーでいられる事を心がけたいものです。
私も糖質制限界ではそこそこ知られる存在になりました。
いろいろなグループからお誘いを受け、そこに所属するという事も出てきましたが、
どこまで行っても私がそのグループ専属の医師、というようなスタンスをとる事は決してないでしょう。
私はそれぞれのグループの中で自由に発言し、自由に黙っていたいと思います。
たがしゅう
Aという治療法を学ぶためにその研究グループに所属したとしましょう。
ところが自分の頭で考えていくにつれ、ふとAという治療法には欠点がある事がわかった場合に、
そのグループ内でその欠点を指摘する事には困難さが生まれます。指摘した事によってグループ内からの総批判を浴びる事になるかもしれないからです。
きちんと「嫌われる勇気」を持っていればいいですが、自分がグループ内の中心的存在であればあるほど、Aという治療法の欠点を指摘する事は困難になります。つまり軌道修正が容易ではなくなるという事です。
ところがこれがそのグループに属していなければ、「Aという治療法にはこんな問題点がある」という事を自由な場で述べる事ができます。
つまり「グループに属する事で情報の入手が容易になる代わりに、情報の自由度が失われる」というように一般化できるかもしれません。
じゃあたがしゅうは全くグループに入らないのかと言われれば、そうではありません。
私もグループには属します。ただ、グループに属する事によってがんじがらめにならないようには心がけています。
私のグループに対するスタンスは、「入りたくなったら入っておいで、辞めたくなったらいつでも辞めていいよ」です。
言い換えれば、「来る者拒まず、去る者追わず」。これは私の日常診療における糖質制限指導にそのまま通じている考え方です。要はゴリ押しせずに選択肢を与えるというスタンスです。
今までのカロリー制限だって、いろいろな治療選択肢を提示した上でカロリー制限を選ぶというのならそこに本質的な問題はないと思います。何をどう選ぼうと患者さんの自由ですから(不幸な選択をしてしまったなぁとは思いますが)。
問題は治療法がそれしかないようにゴリ押ししてしまう事です。もはやこれだけ認知され、制限世界内でのエビデンスでさえ蓄積され始めた糖質制限ですから、
この状況下でそれでもカロリー制限しか勧めないという指導は、無知以外の何物でもありません。
そのようなおかしな状況が生み出される事と、グループで固まるという発想は本質的にはつながっているのではないかと思うわけです。
第二のカロリー制限強要が生まれないように、情報へのアクセスはフリーでいられる事を心がけたいものです。
私も糖質制限界ではそこそこ知られる存在になりました。
いろいろなグループからお誘いを受け、そこに所属するという事も出てきましたが、
どこまで行っても私がそのグループ専属の医師、というようなスタンスをとる事は決してないでしょう。
私はそれぞれのグループの中で自由に発言し、自由に黙っていたいと思います。
たがしゅう