「構造」で考える時の盲点
我が師、夏井睦先生から畏れ多くもコメントを頂きました。
なぜ,ヒトはビタミンC合成能を失ったか。
「要らなくなったから」という可能性も忘れてはいけません。
そもそも「ビタミンCが必須栄養素」と言うこと自体が変なのです。だって,「水溶性で体内に蓄積できず,植物からしか摂取できない」ものが生存に必須な物質・・・なんて論理的に考えるとありえないです。
ビタミンCが豊富な植物を常に手に入れられたから,という説明はちょっと眉唾。
植物にとって葉はエネルギーを産生する「生きるのに絶対必要な」最重要器官ですから,動物に食べられないように毒物であるアルカロイドをためたり,食べられないように固くしたり,トゲを生やしたりしています。だから,どの葉っぱもたいてい不味いし食べにくい(そこらに生えている雑草を食べてみるとわかります)。私たちが食べている葉っぱは食べやすいように品種改良したものです。
先史時代人が私が考えるように昆虫・小動物が常食だったら,遊びながら10分足らずで一日に必要な蛋白と脂質が採取できます。そういう彼らが,なぜわざわざ不味くて食べにくいものを食べる必要なんてありません。まぁせいぜい,遊びで口に入れ,「苦い!」と吐き出すのが関の山。果実にしても原種はそんなに甘くないので,積極的に食べたのかなぁ,と思います。
知人の生化学者に聞いたところ,「必要なのは抗酸化剤。ビタミンCは抗酸化剤の一つにすぎないので,その他,抗酸化剤として機能する物質が体内で作れるようになれば,ビタミンC合成能を放棄しても不思議ないと思うよ」ということでした。
http://www.wound-treatment.jp/new_2015-01.htm#0124-06:00-3
壊血病の発症には常に糖質過剰摂取がセットになっている印象です。
それと関係あるかどうか不明ですが,酸化型ビタミンC(デヒドロアスコルビン酸)は細胞内に取り込まれて抗酸化剤である還元型ビタミンCになるそうですが,デヒドロアスコルビン酸の取り込みはブドウ糖と競合するんだとか。
まず私は、「ビタミンCは生命維持に必要である」という前提で「構造」を組み立ててしまいましたが、
夏井先生は「そもそもビタミンCは生命維持に必要ではない」という視点を、生物学的、生化学的な傍証から説得力を持って示して下さいました。
確かに、そんなに必要な物質ならみすみす合成能力を失うとは思えません。
例えば、グルタミン酸は非必須アミノ酸ですが、裏を返せば非常に重要な物質であるが故にヒトは合成能力を持っているとも言えます。
抗酸化剤としての役割であれば、ヒトにおいては例えば尿酸が強力な抗酸化剤なので代用可能です。
またビタミンC欠乏症の壊血病、この存在がビタミンCが必須だという考えを支持するものでしたが、糖質代謝ではなくケトン代謝優位であればそういう事が起こらない可能性も見えてきます。
ビタミンCとグルコースの立体構造が似ているという点からもこれらの役割は別の何かに取って代わられた可能性は確かに十分考えられます。
もしヒトの歴史上、約6400万年前ビタミンCが合成できなくなったというのと、合成する必要がなくなったというのでは前提が大きく変わってしまいます。
間違った前提で話をしまえば、せっかく「構造」に注目して考えても、スタートが間違っているので結論も間違ったものが導き出されてしまうという事になってしまいます。これは盲点でした。
今回の御指摘から仮説を導く場合は、生化学や生物学といった基盤のしっかりした学問からの事実をうまく使うべきだという事を夏井先生から教わりました。
夏井先生のコメントに私はうまく反論する事ができません。反論できないという事は妥当性が高いという事です。
やはり私はまだまだです。生化学、生物学は勿論、様々な分野についてまだまだ学んでいく必要があるという事を強く感じました。
たがしゅう