サイアミディン

言葉は一人歩きしうる

先日紹介した下記の本には、食事の話以外にも気になる所がありました。

無敵の「1日1食」 疲れ知らずで頭が冴える! (SB新書) 新書 – 2016/6/7
三枝 成彰 (著)


著者の三枝さんは音楽家のプロフェッショナルです。

テレビや映画、オペラまで様々な音楽の作曲に幅広く関わっておられます。

忙しい時は年200回ほどレコーディングがあり、1週間の睡眠時間の合計が7時間という時期まであったそうで、

そうした多忙を極める生活の中で必要に迫られて、1日1食生活になっていった所もあったかもしれません。

そんな三枝さんが次のような事を書かれています。

(p34より引用)

音楽家に、自分の作品を後世に残したいという明確な意識が出てきたのは、

「楽聖」と呼ばれるベートーヴェン(1770~1827年)以降のことです。

ドイツで同時代を生きた哲学者のイマニュエル・カントは「音楽は最低なり」といい放ちました。

美術品は永遠に"人類の財産"として残るけれど、「音楽は聴いて気持ちがいい、心が動いた、感動したで終わる。それは近代合理主義の精神には合致しない」と主張したのです。

これに対してベートーヴェンは人類の財産として後世に残るものを書こうと頑張ったわけですが、

私も一瞬で消費されるものとは違う作品を後世に残したいと願うようになったのです。

(引用、ここまで)



カントについては私も「永遠平和のために」という書物と出会った際に、

平和の実現のための公平性と公開性の必要性とか、例外を作らないために内容ではなく形式で考える重要性など、大変参考になる考え方を学びました。

理路整然と納得の行く説明で素晴らしい哲学者だと思っていたのに、そのカントが「音楽は最低なり」とは随分ぞんざいな言い方です。

そこに違和感を感じた私は、それについてインターネットでさらに検索し調べてみたところ、

実際には次の文章の一部を抜粋した表現であったという事がわかりました。

(カント『判断力批判』篠田英雄訳、より引用)

感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、

言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。

音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、

従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである。

(中略)

これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、

また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、

すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる

(引用、ここまで)



おそらく三枝さんは音楽に情熱を注ぐ自分の生き方をカントに根底から覆された気持ちになったのではないかと想像します。

しかしこの引用を読めばカントの真意は音楽を馬鹿にする事でも、合理的じゃないと言ったわけでもない事が私にはわかります。

少し表現は難しいですが、誤解を恐れずに私なりの解釈を述べるとすれば、カントは音楽という芸術の特質を述べたに過ぎません。

つまり、音楽は詩と融合する事で接する人の心を揺さぶる力が大きい一方で、

その作品に接する人自身に何かを考えさせてそこからどのような新しい世界を見出させるかという潜在能力は低い、という事を言っているような気がします。

それは絵画とか銅像などの芸術と比べてみるとわかりやすいように思います。

私は芸術に際しての素養は何もない人間ですけど、音楽を聞けば元気になったり穏やかな気分になったり、歌詞に共感したり心動かされたりする事はよくあります。

けれどその音楽のメッセージ性は歌詞という言葉により制限されていたり、

音楽そのものは心を揺さぶる力が強い反面、行間から何かを得て新しい世界に気付かせるという力では劣っているように思います。

それは近年リズムネタの芸人さんが一大ブームになってものすごい速さで失速していく流れを繰り返している状況を見れば非常によく理解できます。

反面、絵画や銅像などは見る人が見れば感動させたりそれこそ新しい世界を開くきっかけを与える事があります。

だからこそ超高額の値段がついたりしますが、万人にその価値がわかるわけではありません。

端的にまとめれば、「音楽は万人向けに扇動力の強い芸術、絵画は玄人向けに内省力を与える芸術」という所でしょうか。

この一連の話から学びたい事は、言葉はそれを受け取る人の解釈によっていかようにも変化しうるという事で、

その言葉を発した本人の意図とは沿わない形で伝わってしまうという事もあるという事も知っておく必要があると思います。

そうすると読み解く私達がそのメッセージをそのまま受け取っていいのか否かを逐一考えていかなければならないというので一見煩雑に思われますが、

それを判断するのに大事な要素となるのが「違和感」だと思います。

違和感を感じた場合にはスルーせずにその違和感の正体を突き詰められるだけ突き詰めてみる事です。

今回の場合は「あんな理路整然とした論理を展開するカントがそんなひどい事を言うだろうか」という違和感です。

さまざまな事柄を自分の頭で考える事をくり返し、自分の中で軸となるような大きな流れのようなものが確立していれば、

その流れに沿わない何かが現れた時に違和感に気付きやすくなるのではないかと思います。

それともう一つこの話で得られる教訓は、

人は思いの他ささいなきっかけで大きく動かされてしまうということです。

言葉や音楽の持つ利便性と変幻自在性を考えさせられる話でした。


たがしゅう
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プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
漢方好きの神経内科医です。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

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