補充は欠乏への適応を邪魔する
この週末は大寒波が日本列島を覆いましたね。
私の住む地域では今年度初の積雪で、久しぶりに街は雪化粧となりました。
週末は遠方へ行く用事があり、自宅から歩いて1時間強の距離離れた駅まで行く必要がありましたが、
駅前の駐車場に車を停めると大層高額な駐車料金を取られてしまうので、
普段使わないバスで行こうとひとまず寒い中歩いてバス停まで向かいました。
この大雪でバスは走っているかどうか心配になりながらバス停に到着すると、
走るには走っていましたが、もともと田舎なのでそんなに便数は走っていないのです。
私の住む地域では今年度初の積雪で、久しぶりに街は雪化粧となりました。
週末は遠方へ行く用事があり、自宅から歩いて1時間強の距離離れた駅まで行く必要がありましたが、
駅前の駐車場に車を停めると大層高額な駐車料金を取られてしまうので、
普段使わないバスで行こうとひとまず寒い中歩いてバス停まで向かいました。
この大雪でバスは走っているかどうか心配になりながらバス停に到着すると、
走るには走っていましたが、もともと田舎なのでそんなに便数は走っていないのです。
幸い時間にゆとりを持って出発したので時間には余裕がありました。
次のバスが来るまでの20分間その場でただ待つよりも、運動にもなるしこの先のバス停までさらに歩いて進めるところまで進んでみる事にしました。
道のりは当然大雪で歩き始めは寒かったのですが、
ある程度歩いていくにつれ身体も温まりだんだん心地よくなってきました。
途中でお金を降ろそうとコンビニに立ち寄ったところ、中は暖房がしっかり効いていてこれまた心地よかったのですが、
用事が終わってコンビニから外に出る時に強烈な寒さが身にしみました。
また歩き始めてポカポカしてきましたが、そのまま20分で結構な距離進んでバス停まで到着するも、
なんだかタイミングが合わずにそこでもあと10分くらい待たないといけない状況でした。
ここまで来たらあと半分くらいで駅なので、「もうこのままついでに駅まで歩いてしまおうか。お金の節約にもなるし。」という事で結局自宅から駅まで歩き切りました。
この雪道徒歩経験を通じて一つ思った事があります。
寒い環境に人体が晒されれば、人体は必死にその環境に適応しようとします。
短い時間のレベルでは自律神経が働いて血管を収縮させたり、ブルブル震えてふるえ熱産生を起こしたり、
時間がかかれば虚血に強いケトン体が中心となりエネルギー産生効率を高めたり、
さらに長時間になればエピジェネティクスで環境適応に有利な遺伝子で不活化していたものがオンになってくる可能性があります。
ところがここに暖房などの寛解因子が入ってくれば、それに頼ればいい状況になるので、
苦労して環境適応システムを稼働させる必要がなくなるので、システムの活動は休止します。
けれどその寛解因子が再び取り去られたら、環境適応システム稼働が不十分なまま寒冷環境に戻されるので、
また一から寒冷への身体適応を立て直していく必要があります。私が暖かいコンビニから寒い外へと出て行った際に身体が行ってきたように、です。
こうした寛解因子による楽を繰り返せばどうなるか、
結果的に「暖房がないと寒冷環境に適応できない人間を作り出してしまうのではないか」と思います。
これは糖質制限に加えてサプリで栄養を補おうとする発想に通じるものがあります。
確かにサプリを使ってビタミンや微量元素が補われ何かしらの体調不良が改善するという事実はあると思います。
しかしそうやってサプリという名の寛解因子を加え続けていれば、サプリがないと環境に適応できない人間を作り出す事へとつながります。
そもそも栄養素が枯渇するもう一つの原因である代謝障害に注目すれば、
サプリを投与し続けている限り、自力での立ち直りはできなくなります。その状況ではビタミンに対するオートファジーもおそらくできないでしょう。
さらに、同じ構造は「抗菌、殺菌、滅菌」の思想にもあります。
菌をやっつけるという寛解因子を加え続けている限り、自力で菌に対抗するためのシステムは育ちません。
その結果、「抗菌、殺菌、滅菌」が無ければ環境に適応できない人間が生まれることになってしまいます。
昨今の医療現場で繰り返される抗生物質の乱用の背景には、
本来それがなくても対処する事ができる身体のシステムへの視点が欠如している事が問題としてあると思います。
これまでの薬中心の「プラスの医学」から、
私達の本来持つ働きを発揮させる邪魔をしないための「マイナスの医学」へ、
発想を大きく転換させていく必要性を、
雪道を歩きながら強く感じた次第です。
たがしゅう
次のバスが来るまでの20分間その場でただ待つよりも、運動にもなるしこの先のバス停までさらに歩いて進めるところまで進んでみる事にしました。
道のりは当然大雪で歩き始めは寒かったのですが、
ある程度歩いていくにつれ身体も温まりだんだん心地よくなってきました。
途中でお金を降ろそうとコンビニに立ち寄ったところ、中は暖房がしっかり効いていてこれまた心地よかったのですが、
用事が終わってコンビニから外に出る時に強烈な寒さが身にしみました。
また歩き始めてポカポカしてきましたが、そのまま20分で結構な距離進んでバス停まで到着するも、
なんだかタイミングが合わずにそこでもあと10分くらい待たないといけない状況でした。
ここまで来たらあと半分くらいで駅なので、「もうこのままついでに駅まで歩いてしまおうか。お金の節約にもなるし。」という事で結局自宅から駅まで歩き切りました。
この雪道徒歩経験を通じて一つ思った事があります。
寒い環境に人体が晒されれば、人体は必死にその環境に適応しようとします。
短い時間のレベルでは自律神経が働いて血管を収縮させたり、ブルブル震えてふるえ熱産生を起こしたり、
時間がかかれば虚血に強いケトン体が中心となりエネルギー産生効率を高めたり、
さらに長時間になればエピジェネティクスで環境適応に有利な遺伝子で不活化していたものがオンになってくる可能性があります。
ところがここに暖房などの寛解因子が入ってくれば、それに頼ればいい状況になるので、
苦労して環境適応システムを稼働させる必要がなくなるので、システムの活動は休止します。
けれどその寛解因子が再び取り去られたら、環境適応システム稼働が不十分なまま寒冷環境に戻されるので、
また一から寒冷への身体適応を立て直していく必要があります。私が暖かいコンビニから寒い外へと出て行った際に身体が行ってきたように、です。
こうした寛解因子による楽を繰り返せばどうなるか、
結果的に「暖房がないと寒冷環境に適応できない人間を作り出してしまうのではないか」と思います。
これは糖質制限に加えてサプリで栄養を補おうとする発想に通じるものがあります。
確かにサプリを使ってビタミンや微量元素が補われ何かしらの体調不良が改善するという事実はあると思います。
しかしそうやってサプリという名の寛解因子を加え続けていれば、サプリがないと環境に適応できない人間を作り出す事へとつながります。
そもそも栄養素が枯渇するもう一つの原因である代謝障害に注目すれば、
サプリを投与し続けている限り、自力での立ち直りはできなくなります。その状況ではビタミンに対するオートファジーもおそらくできないでしょう。
さらに、同じ構造は「抗菌、殺菌、滅菌」の思想にもあります。
菌をやっつけるという寛解因子を加え続けている限り、自力で菌に対抗するためのシステムは育ちません。
その結果、「抗菌、殺菌、滅菌」が無ければ環境に適応できない人間が生まれることになってしまいます。
昨今の医療現場で繰り返される抗生物質の乱用の背景には、
本来それがなくても対処する事ができる身体のシステムへの視点が欠如している事が問題としてあると思います。
これまでの薬中心の「プラスの医学」から、
私達の本来持つ働きを発揮させる邪魔をしないための「マイナスの医学」へ、
発想を大きく転換させていく必要性を、
雪道を歩きながら強く感じた次第です。
たがしゅう