サイアミディン

真の自由はいばらの道

「八方美人」という言葉があります。

この言葉の元の意味は「どこから見ても欠点の無い美人」のはずでしたが、

そこから転じて「だれからも嫌われないように、要領よく人とつきあってゆく人」の事を批判的に示す意味で使われる事が多いと思います。

誰からも好かれるように生きていくなんていうのは土台無理な話です。世の中には誰からも好かれるような人の事が嫌いな人が絶対にいるわけですから。

それなのに、誰からも好かれるように生きようとすれば、八方全てが中途半端に終わってしまう、そういう態度を戒める意味が込められている言葉のように思います。
もちろん集団行動であったり、組織の一員として生きていくような場面では協調性を持ってやっていく事はそれはそれで大事なことだと思います。

しかし、新規性を求めてそうした枠組みから外れて何かを成し遂げようと思った時には、

そうした協調性はむしろ邪魔になるものであり、誰からも好かれようとする「八方美人」な気持ちを捨て、「嫌われる勇気」を持って前進する事がどうしても必要になると思うのです。


集団からはみ出そうとする人間を、きっと集団はよく思わないでしょう。

でもこの先ずっと嫌われ続けるかどうかは、はみ出した人間のその後の行動次第という所があるように思います。

私は2011年12月3日より糖質制限を開始し、その絶大なる効果を実感し、勉強してその正当性も理解できたため、

大学病院所属の医師の身でありながら止むに止まれぬ気持ちで、その集団の秩序からはみ出す形で糖質制限を日常診療へ積極的に取り入れていきました。

最初の数年間は孤軍奮闘でした。患者さんに話しても受け入れてくれるのはせいぜい1~2割の日々が続きました。

それでも決して止めようとは思いませんでした。3~4年くらい経ってようやくポツリポツリと理解してくれる人が身近にも現れ始めました。

はたして私は嫌われていたのでしょうか?

自分の命が救われたこの糖質制限という食事療法の正当性を信じてこの道を突き進んでいった結果、

一時は嫌われたかもしれないけれど、長い時間を経て一部の人達には私がそうまでして貫きたかった信念の意味を、わかってもらえたような気もするのです。

けれど何でもかんでも新規性を求めればいいというものでもありません。さもなくばどこかの国の大統領のように混乱を産むだけです。

新規性のその先に皆が望む公平な世界が見据えられている事が大事なのであって、

その展望さえしっかりとしていれば、そのために嫌われることは、むしろ人類の永遠平和のための偉大なる第一歩となると思うのです。

以前、100分de名著という番組で司会の伊集院光さんが、

「自由とは不安」「自由とは孤独」、様々な名著に共通する成分としてあるように思う、という趣旨の事をおっしゃっていました。

孤独で不安な気持ちを抱えながら、いばらの道を突き進んでいく事が自由の本当の姿なのかもしれません。

それでも私は自由な道を選んで生きていきたいです。

そのために私はいろいろな人から嫌われ続けていくかもしれないけれど、

いつか私の真意がその人達に伝わる事を願っています。


たがしゅう
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苦しいけれど

大学病院の経営重視の体制の中で、たがしゅう先生の考え方を貫き通すことは、言葉で表せないほど苦しいことだと思います。

でも先生が正しいことは多くの人がわかっており、これからもその数はどんどん増えていきます。
ぜひこのまま突き進んでいただきますよう、微力ながら応援しております。

Re: 苦しいけれど

saiko さん

コメント頂き有難うございます。

真面目なのが良かったのか悪かったのか、
私にはそれしか選択肢がなくここまで来たという感じです。
これからも信念を持ってこの道を歩き続けたいと思います。

松田道雄さんの「私は女性にしか期待しない」の中の「ある母親の場合」の中に、「人間は人から理解されないものです。ナルキッソスが水に映った自分の姿にこがれ死にしたほど、自分を理解するのは自分です」との一文があります。理解されないのは辛いけれど、自分の中の鏡を大切にしていきたい、と思いました。なかなか上手くいきませんが...。

Re: タイトルなし

H.K. さん

 コメント頂き有難うございます。

 自分以上に自分の事を理解できる人はいません。だからこそ自分の健康を守るのは自分しかいないと私は思うのです。

 どんなに信頼できる人でも他人は他人、すべてを委ねてしまえば間違った道に進んだとしても何も文句は言えません。全てを他人に委ねてしまった自分にも責任があるのですから。自分がしっかりしなければなりません。

自由について

たがしゅう先生、こんにちは。

自由といえば、私は禅で有名な鈴木大拙の思想を思い出します。
禅でいう自由とは、「自」が主になって、「自らに由る」ということというものです。自由とわがままは同じなのかということについては、両者はまったく違います。わがままは、自分をコントロールできない、自制が効かないので、それは欲望に支配されています。すなわち、自由ではありません。自由とは、自制がきく、きっちり自己管理ができる、「自らに由る」ということです。

私は、たがしゅう先生が言われる「孤独で不安な気持ちを抱えながら、いばらの道を突き進んでいく事が自由の本当の姿なのかもしれません。」と鈴木大拙の「自らに由る」に同じように思いました。

自由に生きることを目指したいと思いますが、なかなか難しいです。

Re: 自由について

じょん さん

 コメント頂き有難うございます。

> 禅でいう自由とは、「自」が主になって、「自らに由る」ということというものです。
> 自由とは、自制がきく、きっちり自己管理ができる、「自らに由る」ということです。


 なるほど、参考になります。
 「わがまま」と「自由」の違いを見る事で、自由の本当の姿がより鮮明に見えてくるようです。
プロフィール

たがしゅう

Author:たがしゅう
漢方好きの神経内科医です。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。

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