特に間違っていると思うのは次の2つ、①「相手の立場を考えていない」、②「問題の本質に気付いていない」という点についてです。
私も男性医師の立場でこれまで何人もの女性医師達の働きぶりを真近で見てきました。
皆さん熱心で優秀で優しい人ばかりでしたし、妊娠・出産で休む時もスタッフを気遣う人間ができた人が多かったように思います。
腹の底はわかりませんが、少なくとも私には過酷な労働環境でも嫌な顔をすることなく必死に仕事に勤しむような人ばかりに見えました。
女性医師が増えれば一人あたりの現場の労働負担が増えるという理屈はわかります。しかしだからと言って体制側が勝手に女性医師の数を絞るべきではありません。
そういう労働環境でも働きたいと思うかどうかは、あくまでも当事者が考えるべき問題だと思います。
だってもし、自分がこれから医学部を受けようかと迷っている女子学生の立場だったとしたら、
公平にテストの点数が評価される大学と、全体の3割しか女性はとらないと公言している大学とで、受験行動に変化が出ると思いませんか。
私だったら偏差値が同じくらいだと仮定すれば、最初から3割しか受からない大学へ挑戦しようとは思いません。
つまり大学は学生の気持ち度外視で、自分達の都合で合格者数の男女比を操作しているということです。
過酷な労働環境だから女性に務まらないと思うのは大人達の勝手な決めつけであって、
実際には与えられた環境の中で、最大限努力して働いている女性医師が大半だということです。
女性医師が増えれば、眼科や耳鼻科といった比較的生活の質が保たれやすく、かつ出産・育児後も復帰しやすい科に人が集中してしまい医師の偏在が悪化してしまうという意見もありますが、
それに関しても当事者が当事者の人生の中で考えるべき問題です。大学側に無断で操作されるべきではありません。
過酷な労働環境、専門科の偏り、医療崩壊への懸念…
女性医師を増やすことで見えてくるこうした現象から問題の本質が見えてきます。
つまり「
現代医療のシステムが破綻している」ということです。
すでにギリギリの状況で今の医療が執り行われているということです。
そして医療が過酷労働になる根源的な要因はどこにあるでしょうか。
それは医師依存型の受動的医療といつまでも治せない自己治癒力阻害型の西洋医学中心医療の2点に尽きると私は考えています。
先日ブラック企業化の本質的な原因は「社員が我慢をし続けること」にあるという私見を述べましたが、
まさに今の日本の医療業界も多くの医者の我慢により成り立っている「ブラック医療」とも言える状況になってしまっていると私は思います。
現場の労働環境を変えたいなら女性合格者数の定員を無断で減らすよりもまずすべきことがあります。
西洋医学中心医療の抜本的見直しと患者中心の主体的医療の推進です。
もう少し具体的に言えば、まずは患者が医師に任せず自分で病気を管理する意識を持つことによって、
不要な投薬は減り、病院にかかる慢性疾患外来患者が少なくなり、病院は機能を最小化することができます。
そしてそこで働く医師は真の救急患者の救命など本来発揮すべき働きに過重労働なく専念することが可能となります。
そんな風に病院や医師の仕事が少なくなれば、仮に女性医師が増えたところでも現場負担はそれほど変わらなくなります。
そんなばかなと思われるかもしれませんが、
北海道の夕張市は2007年に財政破綻により医療崩壊したことで知られており、
崩壊前の病床数171から19とおよそ1/10まで入院できるベッドが減るという状況に実際になったそうですが、
驚くことに死亡率、医療費、救急車の出動回数すべてが減少したということが明らかとなりました。
私はこの理由を「西洋医学中心医療からの半強制的離脱」と「半強制的な主体的医療化」の2点にあるのでないかと私は考えています。
つまり住民たちに「周りに病院がなくなったから自分達でなんとかするしかない」という気持ちが芽生えやすくなったことが大きかったのではないかと思います。
「そんなのは夕張市の特殊イベントであって、今の医療がそう簡単に変えられるわけがない」
そんな声が現場の医師や患者から聞こえてきそうです。
そう思う人はこれからも過重労働環境で医師の仕事を続ければいいし、患者は自己管理を放棄して医師に依存し続けて医師の仕事を過酷にすることに貢献し続ければいいです。
でも忘れてはならないのは、そうした「みんなが我慢しているのだから私も我慢しなくちゃ」という小さな我慢の蓄積が企業や医療をブラック化しているということです。
それが嫌ならば自分ができることで具体的に行動を起こすことです。しっかりと声を上げることです。
医師側、患者側、双方に具体的にできることがあるはずです。
西洋医学中心医療からの脱却、受動的医療から主体的医療への移行に向けて、
私は私の考えを着実に実行へ移していきたいと思います。
たがしゅう