何か新しいことを始めようという時に必ずと言っていいほど現れるのが
抵抗勢力です。
このことは糖質制限に限りません。新しい提案をすれば必ずと言っていいほど反対意見が出てくるものです。
そうした議論を持ちかけた時、抵抗勢力は見事なまでに「それができない理由」をスラスラと述べられます。
「人が足りないから」「お金がかかるから」「トラブルがあった時に困るから」「慣れている人がいないから」などなど、
人はできない理由はものの見事に躊躇なくいくらでも作り上げることができるものです。
しかし、新しいことを始めようという状況で、できない理由を挙げ出してもキリがありません。
そもそもスムーズにできるようなことが新しいことになりえるはずもないのです。
スムーズにできなくて当然、ならばどうすればできるようになるのか、「できるための方策」を考える方が建設的ではないでしょうか。
勿論、何でもかんでも新しいものに手を出せばよいというわけではありませんが、
社会の未開発ニーズをいち早く捉え、そこに先んじるような試みに対しては時間をかけて話し合う価値があるように私は思います。
それなのに「できない理由」ばかりが続出するような話し合いには正直私はうんざりしてしまいます。
例えば、以前当ブログでも紹介した「
腹臥位療法」、
本来4足歩行が主体の脊椎動物の自然な寝方としての腹臥位をとることで、
寝たきり老人の誤嚥性肺炎や尿路感染症を減らす方法として、先端的な介護領域では注目されている方法です。
その方法は基本的に仰向けに寝かせる所をただうつ伏せに変えてもらうだけの方法です。
ところがこの方法、あまり多くの病院で普及しているとは言えません。
なぜならば、まず私達は仰向けで寝る事が当たり前の文化の中で生きているということが大きいです。
また「うつ伏せにさせる時の人手が足りない」とか、「うつ伏せにした際にもしも窒息したら問題となる」とか、できない理由が続出します。
しかしこの方法が本当に患者さんのためになるのであれば、
ではどうすれば人手が足りない中で腹臥位療法を取り入れることができるのか、窒息させないようにするにはどのような工夫が必要か、
そもそも患者さんに腹臥位療法の必要性を理解してもらうにはどのように伝えるのがよいか、などという建設的議論を発展させていくのが医療従事者として行うべきことのはずです。
それなのにそういう努力を怠り、「できない理由」をあげつらい、何も新しい事をしようとしない姿勢をとり続けるというのは、
自己保身そのものであり、とても患者のための「他者貢献」ができているとは言えません。
そのような姿勢が続くようではよくないと私は思います。
新しいことをしようとする時、
まずはその変化がもたらす価値というものを正しく推し量ることです。
その結果、その新しいことがもたらす未来に価値を見出せるようであれば、
できない理由をあげつらい現状維持に甘んじるのではなく、
できるための方策を真剣に話し合うことが大切なことなのではないかと私は考える次第です。
糖質制限に関しても然りです。
反対者だけが批判されがちですが、
私に言わせれば、反対者も傍観者も本質的には同じ自己保身です。
それはいじめっ子といじめを傍観する人の関係と同様だと思います。
自己保身は楽だし、一見リスクは低いと思えるかもしれません。
一方で価値ある新しいことに挑戦するための方策を考えることは容易ではありません。
しかし一人で考えれば限界が見えることも、たくさんの人でアイデアを出し合えば乗り越えられることもあります。
できるための方策はより多くの賛同者が集まることで解決の可能性が高まります。
その話し合いの場において出してもらいたいのはできない理由ではなく、
できればどんな良いことが起こるのか、逆にどんなデメリットが生じるのか、そのビジョンについて話し合うことが大切だと私は思います。
たがしゅう
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このところ、お邪魔の頻度が多くなってますが・・・
褥瘡の腹臥位療法は、抵抗勢力多いです。
仕方ないので、最初の数日は
10分から、20分くらいを、私がつきっきりで、
観察してます。
といっても、その間は、ナースやリハスタッフと
ポジショニング方法について、いろいろ意見交換していたりするので、
その時間はすぐに過ぎてゆきます。
で、元の仰臥位や側臥位に戻します。
そうこうしているうちに、バイタルが大丈夫だということがわかってくるので、ナースだけでやってもらえるようになることもあります。
(やっぱり駄目な場合もありますが。)
何を提案しても、できない理由をすぐ発言する人は
ハナから相手にしないようになりましたわ・・・