「食べる」をテーマに執り行われた今月の
小川仁志先生の哲学カフェ、
もう一つ、小川先生は重要な問いを投げかけられました。
その前に
前回の記事の復習で、食べることの意義には基本的に生命維持というものがあるけれども、
他にも楽しみ、修練、パフォーマンス、コミュニケーション、人間性の構築などの様々な役割がありました。
そんな大切な食べるという行為なのにも関わらず、
ダイエット、特に食べることを減らすという行為でしばしば盛り上がりを生じるのは何故なのでしょうか。
それは社会性の構築とともに本来の意義以上に過大評価されて言わば暴走してしまった食べるという行為に対して、
全体のバランスを保とうとする抵抗なのだろうかという疑問が挙がりました。
確かにこの指摘はある意味で当たっていると思います。
糖質摂取過多に代表される、本来は生命維持を図るための食べる行為が逆に生命維持に対して不利に働いてしまっている歪んだ状況に対して、
やはり私達は感覚的におかしいとは思っているわけです。是正すべき状況だという認識は確かにある。
でも何故それが是正できないのか理由がわからないまま基本設計が本能に結びついて実行される行為であるだけにいたずらに健康を害する「食べる」が繰り返されている構造です。
ですから「抵抗」と言えば「抵抗」となるわけですが、
何かによって抗えなくさせられた「抵抗」、つまり正常に機能していない「抵抗」状態が一般的なダイエットブームだと思います。
そしてその抗えなくさせる「何か」というのが、糖質過剰摂取により引き起こされる血糖値の上昇、それに続くドーパミン分泌、報酬系の刺激、そして中毒性の形成だと私は考えます。
なぜそう言えるかと言えば、糖質制限を行うことで私の食事回数は誰に言われるでもなく1日3食以上から1日1-2食に減ったこと、
そしてこれまでに数多現れては消えた様々なダイエットブームの中で、糖質制限は一過性のブームで終わっていない数少ない方法の一つであるからです。
言い方を変えれば、糖質制限だけが暴走していた食の高まりを鎮静化させることができたということができます。
これは私が糖質制限実践後、自分の身体の声に従った結果わかってきたことだと思っています。
つまり糖質制限実践後も1日3食食べるべきという社会的通年に従って、
本当はそんなにお腹が空いていないのに身体の声を無視して1日3食の食事を守り続けていたら気付かなかったでしょうし、
もしかしたらそうしてしまうと私にとってはストレスのかかる糖質制限となってしまっていたかもしれません。
食の暴走にストップをかけるのに糖質制限は私に大きな気づきを与えてくれたように思います。
そして冒頭に述べた小川先生のもう一つの重要な問いかけというのはこうです。
「愛する人を抱きしめることに抵抗する人はいないはず。
けれど愛する人を食べるという行為についてはほとんどの人が抵抗を示すはず。
同じ身体に必要な機能であるはずなのに、食べるということには一段階上の特殊性があるように見える、これはなぜでしょうか?」
カニバリズム(食人)から見える食べることの特殊性ですね。
食べたらその人が存在しなくなるからだとか、同一種を生き延びさせるために遺伝的に規定された拒絶反応プログラムだとか、
理由はいろいろ考えられるかもしれませんが、私はこう考えてみました。
そもそも食べるという行為は多分にリスクを伴う行為であると、
野生動物の世界を想像すれば、食べることで確かに栄養も入るかもしれないが、
かえって相手の仕込んだ毒を入れることになって死んでしまうかもしれない。
現代の保存料や殺菌消毒技術で食の安全が守られている食の方が不自然なのであって、
もともと食とは他の行動よりも慎重に判断して実行されるべき行為なのだと、
そこに食の特殊性の要因が見られるのではないかという意見です。
しかし愛する人を食べないのはヒトの世界では当てはまる話ですが、
動物界では共食いという現象もあるように、いざとなれば取りうる選択肢の一つだと言えると思います。
要するに愛するとか、集団意識といった高次の思考が生み出されるにつれて
自然と培われた感覚が「同一種属内で食べ合わない」という暗黙のルールなのではないかと思います。
こんな風に、食について哲学的に深く掘り下げるあっという間の一時間でした。
集中していろいろ考えたので本当に時間が過ぎるのが早く感じました。
まだ話したいと参加者に思わせるくらいで終わるのが哲学カフェの成功だそうですので、今回は大成功ということですね。
哲学カフェ、心地よい対話の仕方も学べるのでおすすめです。
読者の皆さんも一度経験してみられてはいかがでしょうか。
たがしゅう
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小川先生の問いかけは、本当に面白いですね。
通常の発想を超越していて感動です。
>仮にもし食べなくても生命が維持できるとしたら、それでもあなたは食べますか
>愛する人を抱きしめる事に抵抗はないのに、愛する人を食べる事には抵抗がある、何故か?
この様な問いかけをされたら、
トークが盛り上がらないはずはないと思いました。
「食べる」は、生きるために必要です。
「コミュニケーションをとる」は、
「食べる」には及びませんが、
健康寿命を延ばすという意味では、
とても大切な人間活動だと思いました。
「哲学カフェ」良いですね。