「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい」私達は人知れず苦しんでいる人の気持ちをわかってあげることがはたしてできるのでしょうか。
余命幾ばくもないと宣告された人、愛する人を失った人、誰にも相談できずにいじめの苦しみを耐え抜いているこども…、
アドラー心理学では課題の分離という概念があり、他人の課題に土足で踏み込んではならないとの考え方があります。
その一方で目の前で苦しんでいる人がいるのなら、何とかその人の力になれないか、どうしても考えてしまうのが人情です。
はたして、こうした状況において私達には何ができるのでしょうか。
容易ではありませんが、この問題を考える上で大変参考になる講演会に参加して参りました。
めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊先生の講演会です。
小澤先生は長年訪問診療医として臨床に携われて来られ、人生の最終段階を迎える患者さんをたくさん看取ってこられた経験をお持ちで、
その経験の中から苦しむ人への援助の方法について考え抜かれ、
自らがまとめられたそのノウハウを御自身のクリニックの勉強会で披露することを始められました。
その実践的で役に立つノウハウが参加された方々からの評判を生み、その地域を中心に広まっていったわけですがら
ある時、いくらクリニックで勉強会を繰り返していても、その伝達力には限界があるということで、
すごいことに「
一般社団法人エンドオブライフケア協会」という法人を立ち上げられ、
度重なるクリニックの勉強会で培った援助的コミュニケーションのノウハウを2日間の講習で習得できる形へとパッケージ化され、
全国各地でそのノウハウを学ぶための養成講座を開催されるという活動をなさっておられます。
今回はその養成講座ではなく、小澤先生の考え方について知ることができる3時間ほどの講演会だったわけですが、
長丁場にも関わらず、時間が経つのを忘れるほど魅力的かつ重要なメッセージが込められたプレゼンテーションでした。
そのプレゼンテーションの中で、私が一番重要だと感じたのが、冒頭に紹介した「
苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい」です。
私は医者なので患者さんの気持ちを分かりたいと思っています。
でも性格も生まれも性別も周囲環境も文化も価値観もコンプレックスも、
全てが違う患者さんのことを本当の意味で理解することは難しいとも思っています。
ただそこで小澤先生は重要な指摘をなさいました。それは
「主語を変える」ということです。
私が患者さんのことを理解することが無理だとしても、
患者さんが私が患者さんのことを理解してくれようとする人だと思うことは不可能ではないということです。
患者さんにそんな風に思ってもらうように私は最大限の努力をすべきだということだと思います。
私が常々考えている「主体的医療」も実は
「主語の逆転」です。
「医者が病気を治す」のではなく、「患者が病気を治すために医者を利用する」という考え方であるわけです。
そうすることによって医者という他人には到底把握することができない、その患者さんの複雑な心理、そうなるに至った背景、あるいは意識されるコンプレックスや無意識下で抑圧された怒りなど、
全てを包含したものを把握した上で病気の克服に挑むことができるわけですから、
医者がどれだけ卓越した技術で患者を治そうと努力するよりも、よほど有効的に治る方向へ向かうことができると私は思います。
私も苦しみをわかってくれる人だと思ってもらえる人になれるように、
小澤先生が苦心の末に導き出したノウハウを引き続き学んでいきたいと思います。
たがしゅう
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